PLANET DESIRE
Prequel Ⅰ シーザー

Part Ⅰ


腹が減っていた。彼は、もう何日もろくな食事にありついていなかった。行けども行けども廃墟と荒れ果てた砂の荒野ばかりで、生き物はおろか、草一本たりとも生えていない。空は常に赤い砂と灰色の粉塵の風に覆われていた。
(肉が欲しい)
と彼は思った。突き立てた歯の隙間から肉汁が溢れるような新鮮な肉が……。しかし、そこにあるのは、倒壊した灰色のコンクリートビルの残骸ばかりだ。
「グオォオオーッ!」
彼は空に向かって吠え立てた。そして、行く手を塞いでいた大きなコンクリートの塊にガッと鋭い爪を突き立てる。それを無造作に左右に裂く。埃と砂が盛大に灰色の煙を舞い上げて、瓦礫はグズグズに崩れて行った。

(肉が……)
彼は苛立っていた。掴んだ瓦礫の一部を投げつけて周囲を破壊し続けた。と、その時、彼の背後で音がした。彼は、敏感にそれを感じて耳をそばだてた。
(獲物だ)
本能でそう感じる。彼は、スッと目を細めると微かに笑んだ。やわらかな肉の臭気がする。もう何日も求めていたもの……。
(逃がさない)
彼は低く身構えると瓦礫の影から様子を覗った。ガサリと小さな物音がした。見ると、彼の前方、人間の足なら数十歩、彼の足ならほんの数歩の所にそれはいた。それは、愚かにも低い廃材から身体を出し、足元もおぼつかない様子でうろうろと歩き回っていた。

(大した肉の量じゃない)
彼は落胆した。が、それでも、今の彼にとっては貴重な獲物だ。彼はタイミングを覗った。と、そこへ、背後から人間の囁く声がボソボソと言った。
「怪物があの子に目をつけたわ。今のうちよ」
それは人間の女だった。そのすぐ隣から男の声もした。
「よし。怪物が食っている間にそっと逃げよう」
「そうよ。あんな娘がいたんじゃ足手まといよ。こんな所で死ぬのはごめんだわ」
「だが、あんな厄介者の娘でも最後に我々の役に立ってくれたんだ。感謝しないとな」
と男が笑みを浮かべる。
「当然だよ。今までさんざ食べさせて来たんだからね。最後くらい……」
と女が言い掛けた時、男が声にならない悲鳴を上げた。

「ひっ……!」
恐怖に凍りついた男の顔が血に染まった。怪物が男の喉を引き裂いたのだ。有り得ないスピードだった。
「グフッ……!」
覆い被さるように立った怪物はおよそ2メートル50センチはあろうかという巨体だった。人型のそれは、しかし、人間とは随分異なった形態をしている。青灰色のゴツゴツとした岩のように固い肌に鋭い爪。筋肉のうねりが腕や腹ばかりでなく、表情さえも歪ませている。ギンとした目。黒く長い鬣は背中まで伸びてごつく盛り上がった背筋に絡みつき、僅かに開いた唇の端からは牙のような歯と赤い歯茎が覗く。その歯と中腰になって突き出した爪の先端から赤い血がポタリと落ちた。
「ヒ……!」
女が恐怖の目を見開く。声は喉彦で枯れ、微かな息が漏れるだけだ。絶命した男を足元に転がすと、怪物は女の方を見た。

「ヒィッ……!」
女はパニックに陥った。が、その声が出るよりも早く怪物はその女の喉と腹もグサリと裂いた。でっぷりとした肉に深く喰い込んだ爪があたたかい肉を抉り、血しぶきが辺りを赤く染めた。そうして、二人の人間は重なり合うように倒れて動かなくなった。いい獲物だった。彼は満足すると、そこに腰を下ろし、獲物をちぎって食い始めた。ムシャムシャとガリボリと骨も肉も貪り食う。その間にも、初めに見つけた小さな獲物が辺りを不安気にうろついていたが、彼は、それを視界に捉えながらも、今は食うことに専念することにした。何しろ、成熟した人間二人だ。それは彼にとって大きな収穫だった。最近はめっきり獲物も少なくなった。巡り合った獲物は狩って、すぐに食う。それがこの世界での鉄則だ。狩った獲物をストックしておこうとしても、この異様な暑さでは保存が効かない。肉はすぐに腐敗してしまう。いや、それよりも、むしろ飢えた他の者達に奪い盗られる危険性が高かった。ならば、自分の獲物は自分でさっさと食うに限る。それが一番だ。

だから、彼もそうした。そして、大人の人間を二人も食って、彼は大いに満足した。最初に見つけた小さな獲物は、まだ大して肉もついていなかった。そして何より、そこから逃げる様子もなかったので、彼はそのままにしておいたのだ。そして、彼が、最後に女の腕を貪り食っていた時、その小さな生き物が声を出した。
「お父さん、どこ? お母さん……?」
それは小さな人間の少女だった。彼女は足場の悪い瓦礫の中を手探りで歩いていた。それを、彼は不思議そうに眺めていた。手にはまだ骨を持ち、立ち上がるとゆっくりと少女の方に近づいて行く。その足音に少女はビクンとして振り向いた。お互いに手を伸ばせば届きそうな近い距離にいた。が、彼女は逃げなかった。いや、それどころか、少女は微笑んでさえ見せたのだ。

(何だろう?)
と彼は思った。普通の人間なら、彼の姿を目にした途端、「化け物!」と悲鳴を上げ、一目散に逃げ出して行く。いつもそうだった。もっとも、彼がこれまで視界に捉えて取り逃がした獲物はないのだが……。
(これは、何だ?)
と彼は思った。何だか得体の知れない感情が彼の中を通り過ぎた。
(何なのだ? この……)
彼には理解できなかった。
「お父さん……?」
少女が不安そうに訊いた。

「な…に……?」
彼が言葉を発した。久しく発したことのない人間の言葉だった。
「お父さんじゃないの? 誰?」
赤い砂が風に舞ってパラパラと落ちる。少女の黒い髪が靡いたその隙間の向こうで微かに見え隠れする時間……。
「誰?」
もう一度訊く。

「シーザー……」

彼は名乗った。しばらく忘れていたその名を、怪物は口にした。
「シーザー? そう。わたしは、ミアよ」
と少女も名乗った。
「ミ…ア……?」
彼がたどたどしく発音すると、ミアはうれしそうに笑った。
「そう。わたしはミアよ。よかった。あなたが人間で……。さっき、お母さんの声が聞こえたような気がしたの。でも、すぐに消えてしまって……。もし、あなたが怪物だったらどうしようって、本気で心配したのよ」

「人間……?」
彼は複雑な顔をした。確かにシーザーは、その顔も体も全てが硬い皮膚で覆われていて、表面からその表情を窺い知る事は出来なかった。が、それでも彼は複雑な感情を抱いていた。何故、彼女がそんな言動をするのか理解できなかった。彼は怪物だ。人間からはずっとそう言われて来た。そして、彼もまた、自分のことをそう思って来た。自分は人間とはちがうのだ。姿も大きさも、まるでちがう。ちがい過ぎる……と。だのに、何故彼女はその化け物を前にして、そんなことを言うのか。彼はそっと彼女の前に歩むと眼前に鋭い爪を突き出した。ごつく盛り上がった筋肉の割れ目には、まだ生々しい血がへばりついててらてらと輝いている。が、彼女はまるで動じない。シーザーは首を傾げ、更にその前で手をヒラヒラと振って見せた。が、やはり、彼女は視線を動かさず、無反応だった。

そこではじめて、彼は知った。
(この者には見えていないのだ)
だから、恐れを知らないのだ。
(見えていない……)
シーザーの心の中で、彼にはまるで理解できない感情が巡った。
(見えない……)
それは、どういうことなのか? 鼻の奥で何かがキンと強く彼の嗅覚を刺激した。彼は、目を閉じ、耳を澄ませた。乾いた風とザラザラとした砂の感触、そして、滞った歴史の匂い……。遠くでまた一つ、何かが音を立てて崩れ去る。そんな音しか聞こえない。一年中絶え間ない砂嵐と、焼け落ちて崩れ去った残骸の街……。獣が人間を襲い、自然の驚異はそんなすべての生き物を脅かす。そんな時代なのだ。人も獣も皆、狩りをして食料を手に入れなければ生きて行けない。そんな時代にあって、見えないということは致命的だ。危険を察知することも食料を得ることもできないではないか。

シーザーは、目の前の少女を見た。彼にとってはよい獲物だとも言えた。今、彼は満たされていたが、また、じきに腹が減るだろう。そんな時、また時間を掛けて別の獲物を探すより、手近にいるこの少女を食う方が楽に決まっている。
「ねえ、シーザー。お母さんを知らない? さっき、この辺で声がしたのよ」
と突然ミアが言った。
「お…母さ……ん?」
「そうよ。わたしのお母さん。ねえ、見なかった?」
「……」
彼は手にした女の腕の骨を見つめ、そっと後ろに隠した。
「知る…ない……」
と言って、彼は、そっとその骨を瓦礫の中へ捨てた。

「そう……知らないの」
と、ミアはガックリと肩を落とした。が、怪物はたどたどしい言葉で語りかけた。
「……シーザー…いる」
「そうね。お母さん、いないと寂しいけど、今はシーザーがいてくれるから寂しくないよ」
「シーザー…いる……?」
「うん。独りぼっちは恐いもの。この辺には、よく人を食う怪物が出るんですって」
「怪物……?」
「そうよ。こーんなに大きくて恐ろしくて醜い姿をした化け物が……」
「醜…い……化け物……」
風が彼の擦れた声をかき消すように強く吹いた。

「でも、今は平気よ。シーザー、あなたが側にいてくれるんですもの」
そう言って無理に微笑もうとするミアの顔に砂が当たる。
「わたしね、目が見えないの。だから、本当に怖い。周りがどうなっているのかもわからないし……」
と言って少女は震えた。
「なのに、その怪物が急に襲って来て、みんな散り散りになってしまったの。いっしょにいた人々の多くは怪物に食われて、やっと逃げられた人達も、何処へ行ったのかわからない。お父さんともお母さんともはぐれてしまって、気がついたら、わたし、独りぼっちでここにいたの」
「食われた……?」
シーザーは何か考える風に言った。
「そうよ。だから、わたし、ずっと怖くて……怖くて、独りぼっちで震えていたの」
とミアが泣き出した。

「ミア……」
「そしたら、シーザー、あなたが来てくれたの」
「……」
「そうよ。ごめんなさい。泣いたりして……。でも、わたし、うれしくて……シーザー、あなたに会えて、本当によかった……ありがとう」
「うれし…い……?」
「うん」
と彼女はうなずいた。
「うれ…し…い……」
シーザーは、じっと彼女を見つめた。何故だ。これは餌に過ぎない。この胃袋を満たすために存在する餌。熱風の中に冷たさが入り混じる。……うれしい? うれしい……うれしい……うれしくて、とても悲しい……。

「あの……シーザー、もしかして、あなた、知ってたんじゃないの……?」
とミアが少し怯えたように頬を震わせて言った。
「……?」
「いいのよ。本当のこと言っても……。本当は、あなたがわたしを助けてくれたんでしょう? あの怪物達から……」
「……?」
「さっきね……わたし、お母さんの悲鳴を聞いたの。それからお父さんの声がして、それから、すぐに何かが倒れるような音がしたわ。そして、大きな何かが動いて……獣が何かを食べていた……」
「ミ…ア……?」
「あなた、本当は知ってるんじゃないの? 本当は、もう、お父さんもお母さんも死んでるって……怪物に食われてしまったんだって……」
「……」

「何故黙ってるの? わたしがかわいそうだから?」
「……?」
シーザーはじっと目を細めて地平を見つめる。何もない砂の向こうを……。ミアはフーッと長いため息をついて言った。
「あなたはやさしいのね。ありがとう。わたしを怪物から守ってくれて……それにお母さんたちのこと黙っていてくれて……」
少女は細い首を上げてシーザーに顔を向けた。
「ミア……?」
覗き込むと涙をいっぱい溜めたその瞳はささやかな風のように震えていた。
「でも、わたしは平気よ。だって、そんな事、今までにだってたくさんあったんだもの。数え切れない位たくさん……。友達もおばさんもみんな食われてしまった……だから、いつかは、わたしも……」
そう言うと、遂に耐え切れなくなってミアは泣き出した。
「みんな人間は、怪物に食われてしまうんだわ。お父さんもお母さんも食われて……いつか、わたしも……」

「ミア……食う……ない」
シーザーが言った。
「え?」
少女が恐々と顔を上げる。怪物は、そんな彼女にもう一度言った。
「食う……ない……シーザー……させない」
何故、そんな言葉を口にしてしまったのか、彼自身にもわからなかった。だが、これは、彼にとって何か特別な気がした。
(他の奴には食わせない。こいつを食うのは俺なのだから……)
シーザーはそう考えて、それから、少し嫌悪感を覚えた。
(俺が食う……食う……この人間を……ミアを食う……)
そんな言葉が頭の中をグルグルと巡った。
(食う……)
そんな彼の葛藤には少しも気づかず、ミアは泣きながら微笑んだ。

「……ありがとう。シーザー」
怪物は真似ようとして顔を歪めた。しかし、顔の筋肉は僅かにヒクリと痙攣を起こしただけで、彼は微笑むことはできなかった。
(笑い方なんか、もう忘れた……)
とっくの昔に置いて来たものが彼を悲しくさせた。が、そういう時、どうすればいいのかも彼には思い出せなかった。
(涙の出し方なんか、もう忘れた……)
心の内も外もザラザラとした埃を舞い上げ、痛みを与えるだけの乾いた風が吹いているだけ……。
「シーザー……?」
風の中で彼女が見上げた。

「しっ!」
と彼が言った。
「何か、いる」
それは、彼と同じ、つまり人間とは異なる生き物の気配だ。シーザーは、じっと風の中で耳を澄ませた。
(いる)
それは確かに存在していた。それも複数だ。恐らく、そいつらがミアの仲間を襲ったのだろう。この辺りをテリトリーにしている連中かもしれない。風に混じる臭気。近い。
「下がれ……!」
ミアを壁の後ろに追いやる。が、間に合わない。サッと影が動いた。しかし、それがミアに達する前にシーザーが影に踊りかかった。

「ぐぇっ……!」
中腰から飛び出して下から腕を突き出す。そして、思い切りそいつの腹に爪を突き立て、内臓を抉り出す。そいつはゴボゴボと口から血の泡を出して地面に落下した。そして、もうピクリとも動かない。が、次の瞬間。更なる影が彼を襲った。右から飛び出した岩のように罅割れた皮膚の怪物と正面の瓦礫の上から跳躍して飛び掛かった、尾の長い爬虫類を思わせる怪物だ。シーザーは頭上の岩の怪物に飛びかかり、肘で突いて叩き落とすと、そいつを踏み台にして跳躍し、サイドから来た尾をもった怪物の顔面を蹴り飛ばした。
「ぐぉっ!」
「ゲフッ!」
バキリと骨の砕ける音がして奴らはもんどり打っていたが、シーザーは容赦なく岩の怪物の頭部に大きなコンクリートの塊を叩きつけた。そして、もう一方の怪物の頭を背後から掴むとその背にまたがり、首を捻じ上げて鋭い爪で切断した。

「……ッ!」
声にならない声をもらし、怪物たちは絶命した。大きな獲物だった。人間程肉はやわらかくないが、量がある。それも3体も……。しかし、今それを食うには、彼は満たされていた。人間のやわらかい肉をたらふく食ったばかりなのだ。それに比べれば、奴らの肉はとてもうまいとは言えなかった。だが、それでも、せっかく仕留めた獲物である。何処か安全な場所に隠せないかと、彼は思考を巡らせた。と同時に辺りを見回す。瓦礫の影でじっとこちらを見て震えているミアの姿が飛び込んで来た。シーザーはゆっくりと彼女に近づくと言った。
「腹……空いた…ないか?」
「シーザー、無事だったのね? よかった……」
と少女は言ってその場にへたり込んだ。僅か1分にも満たない攻防であったが、何も状況がわからず、音だけが頼りの彼女にしてみれば、それはさぞかし恐ろしい時間にちがいなかった。

「腹……」
再び、シーザーが言った。
「……少し」
と彼女は言った。
「ああ……」
とシーザーは言って、倒れた化け物の一番やわらかい部分をそっと爪で裂いて彼女の前へ突き出した。
「肉」
「何?」
首を傾げて恐ろし気にしているミアの手にそれを乗せてやった。が、彼女は悲しそうに首を横に振った。
「生の肉は食べられないの」
「何故?」
「火であぶるか焼くかしないと、お腹を壊すでしょう?」
「火?」
「シーザーは火を知らないの?」
「知る…ない……」

「火は赤くてとても熱いものなの。だから、扱いには気をつけないといけないの。触れたら火傷をするし、何でも燃えて真っ黒な炭になってしまうから……でも、寒い冬にはあたたかいし、料理に使えば、おいしい食べ物を作ることができる。とても便利なものなのよ。魚や肉は焼くとおいしくなるし、野菜やお肉を入れて煮込めば、おいしいシチューだって作れるわ」
「シチュー?」
「そうよ。シーザーは知らないの?」
「知るない……」
「そう……」
とミアは小さくため息をついた。
「かわいそう……今度食べさせてあげたいわ……」
とミアは言ったが、それがどんなに難しいことか彼女にもよくわかっていた。肉はともかく、野菜や水、調味料等ここでは滅多に手に入れることなどできない。

「ミア……?」
シーザーが不審そうに訊いた。
「ごめんね。わたしだってそんな料理、もう何年も食べてない。シチューを食べたかったのは、きっとわたしの方ね」
と言って苦笑した。
「火……欲しい……か?」
「そうね」
「何処……ある?」
「起こせばいいわ」
「起こす?」
「そう。枯れ枝や枯葉を集めて、石を打ち合わせるか木を合わせた摩擦で火花を起こして、それを枯葉なんかに燃え移らせるの」

「わかった……」
と言うと彼はサッとそこから駆け去った。そして、あっと言う間に両手いっぱいの何かを抱えて戻って来た。そしてドサリとミアの前に置く。
「もう行って来たの? こんなに早く」
ミアは目を丸くして驚いた。
「行った…来た」
シーザーが言った。
「……火…起こす」
ミアはそうっと触ってそれらを調べた。枝らしき物と明らかにそうでない物が混じっていた。それは鉄の棒であったり、金属やプラスチックでできたパイプだったり、コンクリートの残骸だったりした。

「これは枯れ枝じゃないわ」
次々と引かれて山の高さはどんどん低くなって行った。それを見て、シーザーは肩を落とした。
「枝……ない?」
「うん。こういう物は燃えないの」
「何でも燃える……ミア…言った」
「ごめんね。でも、こういう金属でできた物は燃えないのよ。ううん。同じ火でも、もっと温度の高い火なら燃やすこともできるけど、赤い火では燃えないの」
「赤い火……?」
「うん。青い火とか、ううん、もっとすごい白い火とかなら……」
と言って、ミアは小さく身震いした。本当に何もかもを一瞬にして燃やし尽くしてしまった恐ろしい炎……恐ろしく妖艶な光……憎しみの白い光……。ミアはウウッと声にならない悲鳴を上げて顔を歪めた。

「白い…火……」
寸断された温かい風と冷たい風が彼らの間を吹き抜ける……。
「ミア……」
シーザーは、彼女の肩に触れようとしてそっと手を伸ばした。けれど、鋭い爪で彼女の白い頬を傷つけて汚したくなかった。だから、慌ててその手を引っ込めた。
「大丈夫よ。ごめんなさい」
彼女は振り向いて言った。
「ただ、思い出したの」
「白い火……?」
「そうよ。人間は、何て恐ろしい物を作り出してしまったのかと……そして、それを使ってしまった……恐ろしい……人間って恐ろしいわ」
「人間……恐ろ…しい……?」
それは彼には理解できなかった。人間は非力で小さく、彼にとってはあまりに弱い存在に過ぎない。それが何故恐ろしいと言うのか? 吹きすさぶ風の中……。彼はじっと記憶の向こうを覗くように目を細めた。が、乾いた心に伝わるそれは、何処までも乾いた砂と罅割れた罪の残骸だけだった……。